世間が決めた「まとも」に振り回されるの、しんどくないですか?
木ノ戸昌幸さんによる著書「まともがゆれる」には、京都の障害福祉NPO法人「スウィング」に集う、障害を持つ人・持たない人たちの「できないこと」にこだわらないエピソードと、脱力しきった詩や絵の数々が満載です。
誰かが決めた「まとも」を見つめ直し、ゆらしたりずらしたりすることで、それぞれの生きづらさを緩めるヒントとなる一冊です。
この記事では「まともがゆれる」を買った理由、中身の要約、読んだ感想をまとめてご紹介します。
経緯:なぜこの本を買ったのか
購入したきっかけ
書店でたまたま見かけて購入。
帯に書いてあった「親の年金をつかってキャバクラ」というコピーがロックだなと思った。
購入した目的
著者が障害者雇用NPOを立ち上げた背景や、設立・経営の中での葛藤が知りたいと思った。
要約:書いてあったこと
どうでもいいことを言える朝礼
朝礼では本当にどうでもいい事を多くのメンバーが発言する。
昨日のご飯や、今日の帰宅ルートや、週末の予定など。
笑うほどどうでもいいことが飛び交う雰囲気がとても大事だ。
どうでもいい事しか言えない人が息苦しくないような場を作りたい。
何かをしなければいけない感じ
ゴージャスな無駄、何もしない非生産的な時間が、実は人を癒したりしているのではないか。
「一度しかない人生を一秒も無駄にしてはいけない」「勉強して働いて買って楽しんで」という情報の洪水に急き立てられるのは苦しい。
本当は生きてるだけで丸儲け。
「何かをしなければいけない感じ」から、脱出しよう。
ヘルパーのヘルパー
定期的に他者が訪れる事が、生きづらさを和らげてくれる事がある。
家族でも友人でもない「ヘルパー」だからこそ実現できる、ちょうどいい距離感というものがあるのではないか。
ギリギリアウトを狙っていく
弱さを誇る。ギリギリアウトを奨励する。
ユーモアや葛藤の絶えない歩みの中、それでも希望があったのは、多くの人の「驚くべきいい感じの変貌」だった。
感想:読んで思ったこと
「まともがゆれる」は、価値観を揺さぶってくれる。
そもそも障害者って何?
できる、できないって何?
そう思わざるを得ないほど、この本の登場人物は尖っている。
そして著者の木ノ戸さんはそんな人たちに救われている。
この世は、弱さを見せちゃったもん勝ちなのかもしれない。
まとめ
弱くてもいい。
ダメでもいい。
ダメがダメを救うから。
もうちょっと力を抜いて生きてもいいんじゃないか、と思わせてくれる良著です。