「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、オードリー若林さんが「別のシステムで生きる人々を見てみたい」という思いを抱いてキューバをひとり旅した記録を綴った本です。
この記事では「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を買った理由、中身の要約、読んだ感想をまとめてご紹介します。
経緯:なぜこの本を買ったのか
購入したきっかけ
同じくオードリー若林さんの著書「ナナメの夕暮れ」を買った時に、合わせて買った。
購入した目的
若林さんの文体が好きなのと、キューバ旅行っていいなあと思ったのがきっかけ。
若林さんがキューバをどう体験したのか気になった。
要約:書いてあったこと
出不精ではなかった
僕はハバナに滞在中深夜によくセントラル公園に来ていた。
夜の公園のベンチに座り、「今日はいろんなところに行ったな」「明日も楽しみだな」と思い返していると、寝ないでどこかに行きたいという気持ちが湧き上がってきたり、ホテルの部屋に入る時間がもったいないと感じている自分に気づいて驚いた。
なぜなら、東京での僕は自他共に認めるインドア人間であるからだ。
もしかしたら、出不精なのではなくて東京に行きたいところがないのかもしれない。
出かけたいところがあることって、人を幸せにするんだな。
キューバはアミーゴ社会
立派な家の隣にトタン屋根の家があることが気にかかった。
ネットでキューバの住宅事情を調べてみると、立派な家はやはり優等生的な家庭に優先的に国に割り当てられるとの事だった。
でも優等生的って何を尺度で測るのだろう?
そしてラテンアメリカはアミーゴ社会なので「高いポストにアミーゴがいる」という人に良い家が割り当てられやすくなるということもあるらしい。
キューバのアミーゴ社会の中でうまくコネを作れない人や、結局商魂のない馬鹿正直な人はお金持ちになれないとも言えるようだった。
夜景となったハバナの街を眺めながらまいったなぁとつぶやいた。
半ば確信犯的に「キューバの社会主義に癒される」つもりでやってきた。
だがその目論見は外れそうだ。
日本の自由競争は機会の平等であり、結果の不平等だろう。
キューバの社会主義は結果が平等になることを目指していて、機会は不平等と言えるのかもしれない。
競争に負けるか、孤立を認めるか
自分に尋ねた。
競争に負けてボロ家に住むのと、アミーゴがいなくてボロ家に住むのだったらどっちがより納得するだろうか?
「もしかしたら競争に負けているから」という理由の方がまだ納得できるのかもしれなかった。
もともと人間は競争したい生き物なのかもしれない。
もともと、良い服が着たい生き物。
もともと、良いものが食べたい生き物。
もともと、良い家に住みたい生き物。
それは当たり前なのだが、それがもともと、平等でありたいと言う気持ちをだいぶ上回っていたと言うところが、社会主義が失敗したものと言われる所以ではないだろうか。
競争心に寄り添ったのが資本主義であり、新自由主義だとすると、やはりやりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょうと言うことがマッチベターとなるのだろうな。
感想:読んで思ったこと
良い国もダメな国もない。
日本で、特に都会で生きてると、いろんな生きづらさを感じる。
だけど日本を出て他の良い国へ行けば解決なんてもんじゃない。
結局は心の持ちようなんだとわかった。
まとめ
「日本で暮らすのはもう嫌だ」「どっか違う国に住みたい」そんな漠然としたモヤモヤを抱えているあなたは、若林さんの体験をまず読んでみてから考えてみてもいいのでは?
日本も意外と悪くないって気づくかもしれませんよ。